ついにきたぜ!!

ついに明日5月28日(日)から女川町で一般公開が始まります!!。

強化ダンボール製の『AT-ACT』です!!。

AT-ACT公開情報1

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ここでにおわせていたハナシw

待ちに待った知らせが…

 

今日のところはここまで!(笑)。

「あの時」をむかえる

自分なりの答え・・・いま思えば目の前にあったそれは当初から言葉に出していたもの、そのものだったのかと思います…。
『ダンボルギーニ』への道もそこに至る俺の想いなども書いてきましたが、これなくしては語れない…「背景」も知ってもらいたいと…それがこちら…

 

「あの時」 を迎えるのです!。

11月5日の仙台での初公開を経て、12月23日から常設展示を始め…いまや女川の「キラーコンテンツ」とまで言われるようになった『ダンボルギーニ』…
実はこの瞬間…ここから急速に世に広まったのです。

忘れもしない、2015年12月1日・・・

【人生二度目のツイート】

 

内容は、

『ダンボルギーニ』完成しております

…たったこれだけ(笑)。

そして、画像はこの2つ

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でも…この画像、けっこう考えて選択したものなんです…俺のこのツイートを見た方で興味を示した方は、「ダンボルギーニ?、どこで作った?、どこにあるんだ??」って必ずなるわけで、そのヒントというか痕跡などを探そうとすると考えました。

1枚目は背景に「ウジエスーパー」さんが写り込んでいる構図…これに気付いた方は「ん?、ウジエスーパー?…」ってなり、それを検索すると必ず「宮城」というワードに行き当たると(ウジエスーパーさんは宮城県内にしかない)。

2枚目はウチの会社名が入ったトラックが背景…同様にその社名で検索すると今度は「石巻」というワードが目に入る…試しに検索してみてください。「東北の仙台市に近い石巻~」と出てくるはずですw。

そうです!。なにげに「宮城」と「石巻」を意識してほしいがためにこの画像を投稿画像にしたのです。

どれだけの方が見てくれるのか…実はすごく消極的でしたが(なにせ人生二度目のツイートw)、想いは込めたのです。その想いが通じたのか、人生2度目のツイートを投下した翌日12月2日…携帯が鳴りやみませんでした…何が何だか理解できず、そしてその時たまたまお酒を飲んでたこともあり、「お知らせ」の設定解除の仕方が分からず(なにせ人生二度目のツイートだったからw)、その日は電池のことを気にしながら「放置」w。

翌日12月3日朝に見たらすごい数の「リツイート」!(でも実はこの時点でこの意味をよく理解していなかったw)…その後、最大11,000リツイートを超えたのでした。

 

そこから今度は会社の電話が、ちょっと大げさに言うと「鳴りやまない」状況に…取材申し込みの電話だけではなく、個人や企業の方の問い合わせ…対応に追われたのを今でも記憶しています。
「見せてほしい」
「話を聞かせてほしい」
「どこに展示しているのか」
「会社に行ったら見せてくれるのか」
「貸し出してほしい」

・・・正直、ただでさえ忙しい師走の12月…
この問い合わせをすべて丸く収めるにはどうしたらいいか?…
そこに「答え」があったのです。

目の前にあった「答え」を一時は否定し、そのあと悩み抜いて探し続けて再度たどり着けたことで、あらためてその「答え」に対して大きな自信になった・・・

その「答え」とは、そうです!

「ダンボルギーニを女川の商店街の
テナントに常設展示する」

2015年12月初旬、正式決定となりました!。

 

みなさんからの「あと押し」になった大きな反響は、もしかして「探し続けた」ことが、「悩み抜いた」ことが一つの気付きとなり、チャンスになり、得られたものだったと思っています。

 

「人生を変えた◯◯◯」ってよくある話ですが、

俺にとってのそれは、「あの時」の「人生二度目のツイート」(しつこいw)だったのかも?(笑)

*それにしても…自分でも思うけど、「めんどくさいよね~」…俺(笑)。

 

 

(続く)

白紙撤回

2015年11月からさかのぼることちょうど一年前…

スタッフA:「社長!、1/1が完成したらどこに置くんですか?。」
俺:「女川のテナントもどうするか決まってないから、倉庫代わりに店内に展示するかー?!。」
スタッフA:「そこに置いて大丈夫ですかねー?。」
俺:「大丈夫じゃねーか?だいいちあの店内スペース埋めるほどウチの商品ないから、イイんじゃねーか?。」
俺:「たぶん商店街にクルマ屋って無いと思うから、意表を突くような感じでウケると思うぞ!。」
スタッフA:「はあ・・・」
俺:「あのな!絶対にウケるって!!展示会で見ることできなかった人や取材やら女川に来るようになるって!!。」
俺:「ダンボルギーニだぞ!ダンボルギーニ!…すげーんだぞ!展示会に出したら大ブレイク間違いなしだぞ!話題性バツグンで喜ばれるし、最高におもしれーじゃん!!。なあ?そう思わない?スタッフB!!。」
スタッフB:「そ、そうですね・・・」
俺:「ハイ!決定ーーー!!。」
スタッフA:「わかりました・・・」

・・・って、ここだけ見て客観的には、
かなり「独裁的かつテキトー感満載」だったような・・・(笑)。

「勝算」というものはありませんでした…ただただ

俺流に働いていた
俺ならではの
俺にしか理解できない…

【 カン 】だけでした・・・。
「おだづもっこ」に由来した「勘」のみ・・・。
「根拠のない自信」に満ちていましたが、自分のその「自信」を裏付ける(根拠となる)のは展示会での大ブレイクだった…。

 

しかし・・・

11月5日の展示会での公開後…一人悩み始めたのでした…。

「この展示会での手応えは俺独自の予想に反して、とても満足できるものではなかった…。これを女川の新しい街のテナントに展示していいものだろうか?…。思ったほどの反響の無いまま店内に置いたとしても、単に『自画自賛』しているようでイヤだな…。」

終始笑顔でいた陰ではこのように悶々とした感情があり、この時点では口にすることはありませんでした…社内のミーティングでも全員に「大盛況であり、大成功だった。多くの反響をいただいた…。」と報告…これは一般的に見ればまんまその通りのことだったと思いますが、俺の想定してたイメージとはかけ離れたものだった…。

だから・・・

今だから言いますが、この時点から「あの時」までが一番悩み苦しんだと思います。

そう、「あの時」まで・・・

 

なぜか?・・・それは、11月5日の展示会後、自分の中だけで
「ダンボルギーニを女川の商店街のテナントに常設展示する」
ということを、

【 白紙撤回 】 していたからです・・・。

 

12月23日シーパルピア女川オープンまで1カ月半しかないのです…もう「どうしよう?、どうしよう?」の連続でした…自問自答を繰り返し、自分のテキトーさ加減を若干は恨みつつも、またここで頭をもたげるこの感情…

「根拠はないけど、自信はある」

今までもいろんなことがあった…今回も「なんとかさるさ」と、おもしろくなりそうなことを考えては悩みを繰り返す…でも今回ばかりは展示会での予想を大きく外した件が心に引っ掛かり、バイアスになり、突き進めないでいた…。

なぜか?

自分のことだけの問題であれば「走りながら考える」ものだが、今回のことは俺らを迎え入れてくれる女川という「地域の印象」にも関わってくることだったので、ことのほか慎重になっていたのです…ハズシたらみなさんに迷惑がかかる…と。
必ず見つかる!と「自信を持って」探し続けるも…自分なりの「答え」が出ないまま、2015年12月の運命の

「あの時」 を迎えるのです・・・。

 

 

(続く)

 

人生は思った通りいかないもので?

さて、2015年11月5日…仙台の夢メッセで行われたビジネスマッチングイベントで

『ダンボルギーニ』(1号機)

初公開!!!!!
・・・「よっしゃあああああ!!!!!」

 

しかし…

「あれ?」
「え?うそ?」
「ちょっと?」
「え?なんで?」
「そんなことはないよね?」
「おっかしーな~」

こんな言葉がつい口からポロリとでるような初公開の一日でした…。

 

いちおう言っておきますが、ご来場者の方々や展示会関係者の方々に写真を撮られた枚数(回数)たるや、半端な数ではありませんでしたよ!。1000や2000じゃきかなかったと思います!…いや、マジで!!。
話しかけられたり、いろいろ聞かれて終日しゃべりっぱなしの状態であったことも付け加えておきます…が!!!、

想定外だ…

なにかって?

「マスコミやメディアの取材が一件もなかった・・・」

ってことでした…「絶対取材も殺到するはずだ!」「後日会社にも来るぞ!」「俺も撮影されるだろうから顔の毛剃って、鼻毛もチェックだ!」なんて鼻息荒くしていましたが…俺はやっぱり

「シロウトだった」・・・

 

後々考えてみれば、もっと勉強していれば…その日に合わせて

「プレスリリース」

も、しなければならなかったわけですし、
SNSなどを使って

情報を「拡散」

させることもしていなかった…。

バカだった…わかってはいるけどバカだった…「なんでこんなスゴイものが世に出たのにみんなは・・・」って俺自身の手際の悪さを棚上げしてこんなことを感じていたこともバカだった…。

俺は学びました!。

 

【思った通りにいかないのはすべて自分のせいである】

・・・こう思ったほうが成長するよな~って。

じゃあ、その先「どうするか」ってことも重要ですね。

 

はい、学びました!!。

 

 

さて、考えて考えて…悩みに悩み悩みぬいて…いかに自分が

【本気】

になっているか確かめながら、次の「おだづもっこ」に向けて邁進してまいります!!。
*「まだやるのかよ…」っては言いっこなしで(笑)。

 

 

(続く)

『ダンボルギーニ』への道 第1章-⑧

製作する号令をかけた後はもちろん「参考とする実車」が手元にないままスタートとなります。さらに悲しいことに?、誰もその「参考とする実車」を見たこともない…w。

主に参考にしたのはネット上の大量の画像と、娘にと称して買ったラジコンが「参考とする資料」となりました。

ラジコン

製作開始は1/16サイズの小さなものから試作…初めは紙を使用しておおよその形とするが、1/8サイズからは段ボール化に…そうなると2つの大きな問題が生じてくることに。

・紙のように「曲げる」ということができない
→曲面はすべて折った「面」で表現しなければならない

・厚み方向の設計も考慮しなければならない
→これまでの設計のおおよそのパーツ構成やディティールは参考としながら、基本的に設計図(CADデータ)はすべて引き直し、作り直しをしなければならない

段ボール化して1/8くらいのサイズの試作を完成させた後は、当然のごとくステップアップし、1/2サイズに挑戦となりました。

1/2サイズも段ボールの素地の無地で作られていき、紆余曲折はあったものの2014年11月初旬に完成し、その直後に行われた仙台市内のビジネスマッチングイベントに出展し、初公開!。
1/2サイズとはいえ全長2mをゆうに超すダンボールモデルということもあり、多くのお客様に見ていただき、そこそこの反響をいただくことになりました。

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1/2サイズが完成した後の残されたミッションは…そう、「1/1スケールモデル」への挑戦でした…。

この1/1スケールモデルで一番の特徴は「すべてカラーになった」ことでした…2015年1月に東北でも非常に珍しいフラットベッド型大型UVプリンターを導入したのです。2.1×3.1mまでの素材に一発でフルカラーでプリントが可能…このマシンの特性がフルに活かされる大仕事になったのは言うまでもありません。

ここで一番重要だったことは、「ボディカラーをどうするか?」ということでした。
将来のダンボルギーニのイメージカラーになるカラーですから慎重になる…。
でも、俺の中では答えは必然的に出ていたので、何の迷いもなく、「コレにして!」ってw。
それは、人呼んで

『ダンボルギーニ・ド・ピンク』

またの名を、『快活のピンク』(Lively Pink)
(詳しくはブログ内「ダンボルギーニ・ド・ピンク」参照
http://damborghini.com/archives/199 )

 

カラーが決まってからの製作過程は、
またまたの紆余曲折、試行錯誤、創意工夫…

当然のように大きくなればなるほど出てくること…
ディティールの見直しや強度の問題、再現性をどこまで追求するか、パーツ構成の再検討…多くの問題や新しい課題を見つけては一つ一つクリアしながら製作は進みました。

製作時間については通常の本業の作業の合間を縫って進められたり、残業や休日出勤等で賄われました。
この作業はいわゆるお客様から依頼された「仕事」ではありませんでしたので…。

俺の役割は、設計や表現方法の「最終決定」と、経営者として重要なスタッフが安心して作業に従事できる「環境の整備」ということに徹しました。材料や道具の手配、当たり前ですが安心して作業に没頭できるように給与手当も保証しました。また、焦らせたりダメ出しになるような内容は一切口にすることはありませんでした。
ここまででパーツの作り直しや設計変更は「500」にも上ったものと思います。
「自信や誇り、自分たちの成果として実感してほしい」という思いもあり、工夫やアイデアもスタッフからあげられるものを優先して採用していくようにしました。

 

地元愛、地域への想い、次世代への提言、製作スタッフと支えてくれた社員全員の情熱とコダワリ、己の夢と憧れ・・・それらを「乗せられるだけ乗せて」・・・

そして・・・

2015年11月4日の夜、
『ダンボルギーニ1号機』完成!!

工場での完成(1)

工場での完成(2)

 

11月5日の、昨年に引き続き出展した仙台市内の展示会発表を経て…

BM2015(1)

BM2015(2)

 

12月23日からシーパルピア女川の当社のテナント店舗に常設展示する予定に…。
*この時点では、あくまでも予定に、です

『ダンボルギーニ』は絶対に多くの関心を集めるだろう!!・・・
この時の想いは、この『ダンボルギーニ』が注目されれば、ひと目見ようと全国各地から多くの観光客が女川に、そして経由地の石巻市に訪れるようになるだろうと…それで震災復興の象徴にもなり、小さくとも地域貢献もできるだろう…。

そしてなにより、これは自分が思い描いていた

『おもしろい』
(詳しくはブログ内「ダンボルギーニへの道 第1章-⑤」参照
http://damborghini.com/archives/166 )

…を具現化した一つの事例を、この地域発信で完全に示すことにもなるだろう…と…。

 

 

(続く)

『ダンボルギーニ』への道 第1章ー⑦

この地域のことを真剣に考えるのは、俺が生涯この地で生きていくという強い想いと、情熱を注いでいる自分の仕事を通してここから「発信」していくんだという信念…そのためには継続社会、仕事もより良い魅力的なもの、にして行かなければならないという使命感があってのこと…。

しかし、現実はそう甘くはなく、震災後少しの落ち着きを取り戻してきたときには、若い世代と新卒者の一部は以前同様に町外、市外、県外にどんどん流出してしまうようになりました…そんなとき、ある数人のそのような若い世代と話した時は衝撃を受けた…目的があって将来の夢があって町をあとにする人がいる一方、「なぜ◯◯に行くの?」との問いかけに(行くための大義名分のほか)「何か夢を見れるかもしれないし、これから描けるかもしれない。また(自分に影響を与えてくれる)誰かに出会うかもしれない。」って…。

衝撃…なぜか?…答えてくれた内容を逆に解釈すれば、この地元には「夢見れない、夢描けない、誰にも会うことはない」って言っているようなものだからだったから…。明確ではなくても漠然とした「期待感」だけで?…。
(もしかして俺もその当時そうだった???…)

ではそのような地元に見られるようになったのはなぜか?…この地域に生きる、生きてきたオトナである俺らにも責任の一端はあるんじゃないか?…何かが足りなかったんじゃないか?…

「だったら、夢見てもらえるようなことしてやる!、
夢描いてきたこと見せてやる!、
そんな俺らを見てくれ!!」

…って…以前に書いた「様々なことがリンクし…」の一つが、この感情でした。

また、

オトナ達はすべて「現在進行形で地域を創っている」…
それならば、「内を見てくれるきっかけ、興味」をつくること…それを伝えること…
そしてそれが「この地域での夢を描かせること」になり、将来を、未来を創っていくものなんだ

…と、強く感じた所以でした。

 

ならば、俺の幼いころからの夢や憧れとともに地元への想い…
それらに対して我々の技術と、あつかう素材の可能性で

『カタチ』

にできるだろう・・・。

 

魂の中の「エンジン」に「火」が入った

瞬間でした・・・。

 

(続く)