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Dream, Hope, Love...andChallenge!夢とあこがれ、地元愛…そして果てなき技術への挑戦

Damborghini

The Story of Damborghini
ダンボルギーニ物語,第2章へ

震災復興に走る街で、男たちは未知のモノづくりに爆走し始めた。
ダンボールでつくるランボルギーニ…ダンボルギーニ!
駄洒落の裏に込められたのは、夢やあこがれを形にして、
地元をもう一度盛り上げたいという熱い思い。
2015年にお披露目された初代に続き、より本物に近づけるべく、
こだわり抜いた2号車がここに完成。
イシノマキ・ドリームも第2章に入った!

Start

1973(昭和48)年、宮城県石巻市に創業した今野梱包。もともとは木製パレットや木箱を扱う梱包会社だったが、3代目社長の今野英樹は木より軽く、省資源化につながるダンボールに将来性を見出した。

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1973(昭和48)年、宮城県石巻市に創業した今野梱包。 もともとは木製パレットや木箱を扱う梱包会社だったが、3代目社長の今野英樹は木より軽く、省資源化につながるダンボールに将来性を見出した。

アメリカで開発された「トライウォール」は、3層構造で強度や耐水性を高めた究極の強化ダンボール。 まだ東北で誰も扱っていなかったこの素材に惚れ込んだ今野は、億単位の工場設備を先行投資。 米国トライウォールコンテナーズ社に猛アピールして、2005年に東北・北海道地区初の正規代理店に認められた。

だが、すべてがゼロからの新事業。 最初はどこからも依頼はなかった。 今野と数人の社員は、誰に頼まれるわけでもなく工場の片隅でダンボール製の家具や造形物を試作。 職人肌の社員らはCADやカッティングマシーンも使いこなし、1枚のダンボールから思い思いのモノを創造できるようになった。 中でも「リーマンショックでまったく仕事がなかったとき」に挑んだ高さ3mほどの「ガンダム」のクオリティは驚異的だ。

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Move

営業に営業を重ね、やがて本来の梱包の仕事も得られるようになる。一方で「宮城県沖地震」への備えに関心のあった今野は、非営利の災害対策として、ダンボール製の間仕切りや仮設家具なども作り、自治体に活用や備蓄を提案して回った。

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営業に営業を重ね、やがて本来の梱包の仕事も得られるようになる。一方で「宮城県沖地震」への備えに関心のあった今野は、非営利の災害対策として、ダンボール製の間仕切りや仮設家具なども作り、自治体に活用や備蓄を提案して回った。

「家庭も顧みず、がむしゃらに動き回った。初めからできることに投資してもだめ。誰もやっていないことを新しく始めて、市場を切り開いていく」

そんなポリシーを持った今野を中心に、社員が一丸となって突き進んだ。ダンボール事業は徐々に軌道にのり、借金の返済にもめどがつき始めた。そんな矢先に襲いかかってきたのが、「3・11」だった。

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Collapse

今野は当時、出張で東京にいた。強い揺れを感じ、とっさに手元の携帯で震源を確認。三陸沖。「石巻にも津波が来る」。今野はそう直感して、家族や会社に電話を入れまくる。だが、うまくつながらない。

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Collapse

今野は当時、出張で東京にいた。強い揺れを感じ、とっさに手元の携帯で震源を確認。三陸沖。「石巻にも津波が来る」。今野はそう直感して、家族や会社に電話を入れまくる。だが、うまくつながらない。不安と混乱の中、何とか確保したホテルで、部屋のテレビに映し出されたのは、津波にのみ込まれる東北の街の地獄絵だった。

2日間をかけて石巻に帰り着き、幸い家族や社員の無事は確認できた。津波の直撃は受けなかったものの、自宅は全壊、会社も被災。だが、最大の被災地となった石巻で、自分は生かされている。前に進まないわけにはいかない。再び借金を背負いながら、今野は会社再建を決意する。

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Comeback

全国からの支援を受け、石巻の街は復旧・復興に向かっていった。しかし、地元の若い人たちはそんな街に背を向けて、震災前と同じように進学や就職のため外に出ていってしまう。なぜなのか?彼らが悪いわけじゃない。今野は気づいた。

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Comeback

全国からの支援を受け、石巻の街は復旧・復興に向かっていった。しかし、地元の若い人たちはそんな街に背を向けて、震災前と同じように進学や就職のため外に出ていってしまう。なぜなのか? 彼らが悪いわけじゃない。今野は気づいた。俺たちがこの街の「夢」を見せられていないんだ。仕事や生活に手一杯で、疲れ果てていてはいけない。そして思いついた。自分の夢やあこがれを、形にして示そう。小さいころからのあこがれは、「ランボルギーニ」。それをダンボールでつくってやる。今野の頭の中で、ダンボルギーニ・プロジェクトがついに始動した。

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Creation

実物のランボルギーニは手元にない。入手できる写真などを基に独自の設計図を作ることにした。今回、今野自身は手を動かさないことに決めていた。社員が、本来の業務の合間に気兼ねなく取り組めるような「環境づくり」に徹する。

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Creation

実物のランボルギーニは手元にない。入手できる写真などを基に独自の設計図を作ることにした。今回、今野自身は手を動かさないことに決めていた。社員が、本来の業務の合間に気兼ねなく取り組めるような「環境づくり」に徹する。その意を受けた社員が、まず2分の1モデルの試作に着手した。2014年に完成した試作品は、なかなかの出来栄えだ。「行ける」と確信した今野は、実物大モデルの制作にゴーサインを出した。

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Challenge

実際の制作は、試行錯誤の連続だった。ダンボールは平らな「面」が基本。なめらかな車体の曲線を、いかに面に分割して表現するか。最も難しかったのはタイヤのデザインだった。

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Challenge

実際の制作は、試行錯誤の連続だった。ダンボールは平らな「面」が基本。なめらかな車体の曲線を、いかに面に分割して表現するか。最も難しかったのはタイヤのデザインだった。形はもちろん、溝の一本一本やホイールのディテールも本物に近づけた。車体に取り付ければほとんど隠れてしまうが、そんな見えない部分までの徹底したこだわりが、全体の完成度を神がかり的に高めている。

2015年に発表されたダンボルギーニは、予想以上の反響を巻き起こした。全国から見学者やメディアが殺到。さまざまな支援やタイアップの話も持ち掛けられた。

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Restoration

ちょうど石巻市に隣接する女川町で復興計画に基づく新たな商店街の建設が進んでおり、高校の同級生だった須田善明町長が今野に出店を持ち掛けた。15年末、商店街の一画にショールームを兼ねた店舗をオープン。

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Restoration

ちょうど石巻市に隣接する女川町で復興計画に基づく新たな商店街の建設が進んでおり、高校の同級生だった須田善明町長が今野に出店を持ち掛けた。15年末、商店街の一画にショールームを兼ねた店舗をオープン。ダンボルギーニは復興の象徴、女川の「キラーコンテンツ」として一層の注目を集めるようになった。

小売りの店舗を構えるのは初めてだった今野。だが、もともと家具やアイデア商品を一般向けにも展開しようとしていた。ダンボール製の恐竜や昆虫、リボルバーなどは一般客にも受けがよい。2000万円で導入した加工機を駆使する「レーザーアートギフト」も満を持して販売。

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Activity

ダンボルギーニが広げる人と街との接点。活性化への貢献に向けて、ささやかな一歩が踏み出された。ファンが本物のランボルギーニを乗り付け、ダンボルギーニとのコラボレーションも実現した。

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Activity

ダンボルギーニが広げる人と街との接点。活性化への貢献に向けて、ささやかな一歩が踏み出された。

ファンが本物のランボルギーニを乗り付け、ダンボルギーニとのコラボレーションも実現した。ただし目の前で比較すると、実車と作品との違いが気になるようになる。今野は各パーツのディテールをすべて見直し、さらにクオリティを高めた2号車の制作に取り掛かることを決断した。ダンボールという素材の可能性を究極まで突き詰め、1年掛かりで出来上がった「新生・ダンボルギーニ」が2016年の今、ついにベールを脱ぐことになったのだ。そのこだわりと、熱い地元愛を、ぜひ心から受け止めてほしい。

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Project team

Planner
konno hideki(konnokonpo Inc)
Produce
Higashihara kuniaki(east field Inc.)
Art Direction
fukuda takeyoshi(toco Inc.)
Design,Technical.Direction.Development
watanabe kazuhiro(HOMEPAGESHOP Inc.)
Photographer
yamaguchi munenori
Writer
sekiguchi taketo