Damborghini

slide

『ダンボルギーニ』への道 第1章-②

DSC01478

時は流れて就職する年齢になりましたがクルマに対しての興味はスーパーカーじゃなくても健在でした。それが影響し自動車販売会社の営業職として就職することになりました。

自分のクルマとして一番最初に所有したのが日産シルビアで、友人に恵まれアルバイト後の深夜には仙台港周辺の「ドライビングスクール」?に通い詰めるようになっていました。そこでの教習科目は「ドリフト」と「ゼロヨン」でしたから熱も入ったわけでw…今となってはいい思い出です。

 

その後、当社の創業者でもある尊敬していた祖父の他界を機に平成6年に早くも自社に入社することになりました。でもクルマ好きは健在で、頭金を1,000円だけ入れて今現在も所有するR32型のスカイラインGT-Rを購入したのもこの時期でした…w。

その直後結婚…立て続けに子供に恵まれ親となり、いつしかその子供ともスーパーカー…その時期はカウンタックの後継車種のディアブロという車種への憧れを共有するようになりました。その時の年齢は確か30歳を数えていたかと思います。

その時期は将来への道筋をつけるべく構想構築と仕事に明け暮れ、平成17年俺32歳…その時は自分自身、知る由もなく

『ダンボルギーニ』を造る環境の第一段階をつくることになりました…
そうです…今の主体事業でもある強化ダンボールの加工事業をスタートさせたのです。

 

新事業を立ち上げてからは、スーパーカーとか言っている状況ではありませんでした。大きな投資をしてスタートさせたはいいが仕事はゼロ…挙句の果てに主要素材でもある段ボールの知識はシロウトレベル…日々暗中模索で営業やPR、知識習得の毎日でした。お蔭様で徐々に仕事をさせていただけるところができ、シロウトがプロのふりして少しずつではありますが技術や知識も身に付けていくことができました。

その後、新事業を立ち上げてちょうど一年後に、これまた仕事がないのに今度はCADシステムとカッティングマシンを導入することになりました。相談する人すべてにほぼ反対された記憶があります…「まだ早い」「もう少し売り上げを増やしてから」…メインバンクの銀行や税理士からも…当たり前だとは思っていましたが、俺は「これが無いとできないことの方が多い!」「~の構想を描いている!」「この設備の導入によって~の分野にも即座に参入できる!」と、くどいほどに熱く伝えていき…ついに念願の設備投資がかなったのです…デザインもCADの知識も技術も何も持たないままではありますが…(笑)。

余談ですが、導入時から比較(導入金額)するものの喩えとして言っていたのが、「フェラーリ買うかこの設備を買うか迷ったけど、結局この設備にしたよ♡」…呆れていた方も多かったに違いないと過去を振り返っています(笑)。

…しかしこれで

『ダンボルギーニ』を造る環境の第二段階完成…
着々と…この時はまだ神のみぞ知る『ダンボルギーニ』を造る環境は整ってきていたのです。

 

 

(続く)

Next post 『ダンボルギーニ』への道 第1章-③
Previous post 『ダンボルギーニ』への道 第1章-①